ねじまき鳥クロニクル
何気にこのページのタイトルにもなっている「ねじまき鳥クロニクル」 村上作品のなかでは私が一番好きなものです。
三部作で、

第一部「泥棒かささぎ編」 第二部「予言する鳥編」 第三部「鳥刺し男編」

・・・・・・・・・なんか無限の可能性を秘めているんじゃないかと思わせるこのネーミング。 第一部で「かささぎって何だ?」と思ってから第二部で「予言・・・?予言だよ予言!」と思い、最後に「鳥刺しっっ!?(棒に刺された男を思う)」と思いながら購入いたしました。この作品はストーリーがとにかく長い。ドストエフスキーも真っ青です。というのは嘘です。流石にドスエフ先生の「カラ兄」、トルストイ先生の「戦争と平和」には負けます。でも村上作品の中ではトップの分厚さ。読んでいるうちに自分の神経もずたずたになっていくように私は感じてしまう。ダンレボでいえば、最初は軽く「MIDNIGHT BLAZE」あたりで攻め、中盤で「PARANOiA rebirth」でズタボロになり最後に「TRIP MACHINE luv mix」で頑張った、てな感じです(意味不明)。

ストーリーは、これまたわかりにくい説明しかできないのですが、まず猫が家からいなくなった。そのあとクミコ(奥さん)がいなくなった。岡田亨(主人公)はクミコを取り戻すために奔走する・・・と、いうのが大筋。まだ読んだことのない人に悪いけど、この小説を解説する上でのポイントとして各キャラクターの説明をします。

岡田亨・・・主人公。積極的に自分から何かをしようとするタイプではなさそう。(殆どの村上作品の主人公もそうだけど)普通のオジサン。猫が好き。前まで法律事務所に勤めていたが最近辞めた。現在失業保険と奥さんの収入で暮らしている。よーするに今は主夫。
岡田久美子・・・旧姓は綿谷。母親の入院している病院でトオルと出会い、交際が始まる。二人は結婚して六年。子供はいない。一度妊娠したが中絶した(これキーポイント)。幼いころは父親の実家の新潟で育てられた。
綿谷昇・・・新進気鋭の若手政治家ということでかなりの有名人だが、トオルともクミコとも折り合いがよいわけではない。私こいつ嫌い。
笠原メイ・・・トオルの家の近所の16歳の女の子。なかなかペシミスティックな考え方をしていて、死についてよく考えている。原付で二人乗りをしていたときに運転していた少年を目隠しし、事故に遭い、少年は死亡する。
加納マルタ・・・マルタ島で修行し「水の音を聞く」職業をしている。トオルとは、いなくなった猫を探す助言をするために知り合う。
加納クレタ・・・加納マルタの妹。昔はやたら強い「肉体的痛み」を感じながら生活をしていた。一度自殺未遂をしたが、それ以来痛みも何も感じなくなった。それから娼婦をしていたが、そのときに綿谷昇の相手をし、「汚」されてしまう。
赤坂ナツメグ・・・元はデザイナー。名前はもちろん仮名。「後ろから呼ぶときなどに必要」というのでトオルにはこう呼ばせている。なにか不思議な力を持っている。
赤坂シナモン・・・ナツメグの息子でとてもハンサム。幼いころにねじまき鳥に関してとあることを経験し、それから口を利かなくなった。とても頭が良い。
ねじまき鳥・・・「ギイイイ」とねじを巻くようになくのでトオルが勝手にそう呼んでいる鳥。姿は見たことがない。トオルは「ねじまき鳥が世界のねじを少しずつまわしている」というユニークな発想を持っている。


ある日知らない女からトオルのところに電話がかかってくる。「10分あれば分かり合える」その女は言う・・・。本筋はいなくなったクミコをトオルが取り戻すという話。何処から取り戻すのか?それは綿谷昇のところからなのだ。綿谷昇にはクミコが必要なのである。何故か?それは死んだクミコの姉にやらせていたことをクミコに継承してやらせるためである。綿谷昇は「人々の暗い闇にあるものを引き出す力」のようなものを持っている。彼はこの力でクミコの姉を「汚」し、同様に加納クレタを「汚」した。彼は性的に不能で、このような形でしか(女性を「汚」すという形でしか)女性と性的にコミットできないのだ。昔はそれを彼の姉がやった。今度はクミコにさせようというのだ。
間宮中尉からノモンハンの「井戸」の話を聞いてトオルは、空家の宮脇さんの家の井戸に降りることを決意する。彼はそこで様々なことを考える。トオルは縄梯子を使って降りたのだが、しかし、笠原メイがその縄梯子を取り去ってトオルを井戸の中に閉じ込めてしまう。彼女自身もまた、深く考えていたのだ。彼女の場合は「死」について。彼女は「死」に近付き、その中身「死の塊」のようなものを見てみたいと思っていた。誰かを最も「死」に近づけることによって自分が「死の塊」を見れる課も知れないと思っていた。彼女はそのためにトオルを井戸に閉じ込め蓋をしてしまった。
トオルはそこで「夢という形をとった何か」を経験する。そこで彼がであったのは電話をしてきた「知らない女」だった。実は彼はこの後も何度か同じ経験をするが部屋に入り、女と話をし、ドアを誰かがノックする音で現実に戻ってしまう。その後、彼はその女がクミコであると気が付く。彼はその井戸からクミコのいるところまでたどり着き、クミコを助け出さなくてはいけない。


細かく見ていくとこれが大筋なのですが、ここに出ている「井戸」が何かノモンハン戦争時の「井戸」と繋がっていたり、ノモンハン戦争が「新京の動物園」につながっていたり、なぁんて、すごくイッパイ繋がりがあります。一回読んだ位じゃわからない、村上春樹の奥深さの集大成みたいなものです。これは。あ、あと初心者は絶対にこれから読まないほうが言いと思います。初心者は「風の歌」とか「ノルウェイ」あたりから入るべきではないだろうか。結構残忍なシーンとかがあるから。あと、戦争ものに興味がある人は読むべきだと思います。ノモンハンから動物園虐殺、シベリア抑留などについての話が詳しく出ています。





四部作
「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」
1.「風の歌を聴け」
主人公と「鼠」の出会い。二人の一夏、のようなもの。彼らは大抵、ジェイが経営している「ジェイズバー」で酒を飲み交わした。主人公は小指のない女の子と親しくなるが彼女とはそれきり。群像新人文学賞受賞作品。

2.「1973年のピンボール」
「風の歌」から数年が経過。主人公は何故か双子の女の子(208と209)と暮らすことになる。鼠は鼠で女性と半同棲みたいなことをして日々暮らしている。
私が好きなのは「配電盤のお葬式」のシーン。

3.「羊をめぐる冒険」
なかなかファンタジックな不思議なお話。主人公は仕事がきっかけで知り合った「キキ」(この時点では名前は分からない)と暮らしている。キキは一見普通の平凡な女の子だが、とても素敵な「耳」を持っている。副業のようなもので耳専門のモデルをしている。
主人公は友人と(「ピンボール」の時から)会社を共同で経営していたが、その会社で作った保険会社のPR誌に使った羊の写真から今回の「冒険」が始まる。その羊の写真には普通の羊ではない、身体に星型のしるしがついた羊が写っていた。ある大きな組織の男から主人公は「その羊を探せ」と言われる(脅迫に近い)。主人公とキキはその羊を探し始める。実はその写真を主人公に送ってきたのは鼠で、この話は鼠との再会の話でもある。この話では、「ドルフィンホテルの支配人」「羊博士」「羊男」など、不思議な人たちが登場し、そのキャラクターもなかなか見所。

4.「ダンス・ダンス・ダンス」
前作までで殆ど何もかも失った主人公がいろいろなものを取り戻そうとする。きっかけは彼の夢の中で泣いている「誰か」。夢の中のドルフィンホテルで誰かが彼のために泣いている。彼はそれがいなくなったキキだと思い、キキを探し始める。昔のドルフィンホテルを訪ねてみると、そこは超近代的、営利主義的な「ドルフィンホテル」に変化していた。しかし「ドルフィンホテル」はやはり彼を待っていた。彼を待っていたのは「羊男」。羊男はこのドルフィンホテルで主人公の「ばらばらになってしまったいろいろなもの」をつなぎ合わせるために存在する。羊男はそのためにも主人公が「誰もが感心するくらい上手に踊る」ことが必要だという。彼は自分の中の「配電盤」を取り戻すためにステップを踏み続ける。


村上春樹を語る上で欠かせないのがこれですね。四部作。これを読むと村上春樹の成長の具合が良く分かります。この四部作で共通したキーワードは「繋がり」最終的にはどこにもコミットしていない主人公が自分の繋がりを取り戻すお話といえます。「繋がり」がある形態をとっているのが「ピンボール」。この小説では「繋がり」「配電盤」に姿を変えて物語の中に登場します。「配電盤」ていうのは他の作品にも少しでてくるけどね。
四部作の中で私が一番好きなのは「ダンス」です。読んでいて楽しいというのがその理由。なんとなく都会的な寂しさが少しあるけど、話はいろんなところに飛躍する。札幌からハワイまで。この作品においてはキャラクターの個性が魅力、というのもあります。特に私が好きなのはユキ。ユキっていうのは13歳の女の子なのだけど、とにかく綺麗な女の子。どれくらい綺麗かって言うと、主人公が15歳だったら間違いなく恋におちていたっていうくらい。でも可愛い女の子にありがちなようにこのユキはいじめられっこで、しかも両親は写真家のアメと、小説家の牧村拓(実際にいるひとではない。)と有名人。なおかつチョッピリ霊感のようなものがある。こんなユキのことが私はとても好きなのですが、とくに主人公と一緒にハワイで休暇を取る話で、ここで主人公との素敵な繋がりが垣間見えて私としてはニヤニヤしながら読んでしまう。いや、ヤラシイ意味ではなく。
何だか不思議とファンタジーで、村上春樹の過渡期にあるのが「羊をめぐる冒険」。文章を読んでいれば分かるんだけど、前半部はそれ以前の「風の歌」「ピンボール」同様の「ストーリー的じゃない小説」という趣がある。ところが後半部は「ダンス」「ねじまき鳥」に繋がるような「ストーリー的な小説」という趣がある。あくまでも私が受けた印象ですが。
「風の歌」で村上春樹はデビューして、群像新人文学賞を受賞しましたが、「風の歌」「ピンボール」で受ける印象は大体同じです。最初出はじめのころは村上春樹の文章はかなり斬新なものとして受け止められたみたいだけど、簡単に説明すると、「ぽん」と1つのお話があったら次にまた「ぽん」と違うお話がすぐにくる。読み通してみるとそれらの一見別々に見えていたお話がひとつに繋がる、というかんじ。両作とも、最後に一緒にいた人たちがいなくなってしまって寂しげな小説でした。私にとっては。





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